親、特に母親の前で、良い息子や娘でありたいと思うことは、子ども自身の行動規範になりえるように思う。
かくいう私自身が、親を困らせるだけ困らせためちゃくちゃな幼年時代を経て、次第にまともになっていった(?)のは、父親や母親にとって誇れる息子でありたいという思いが小さくなかったように思う。
片田舎のお山の大将だった私は、小学校中学年ころまで悪行の限りを尽くし、母親が校長室に呼ばれることもしばしば。恥ずかしながら、小学校高学年で少しずつ分別がつくようになってはじめて、母親を困らせることへの罪悪感や自分の情けなさを感じ始めたのだった。
そこからは、もしかしたら今でさえも、私の行動規範は、親に恥ずかしくない、親が誇れる息子であるのかもしれないとふと考える。それが次第に自分の中で当たり前になり、自分の価値観や行動規範そのものになっていったのは、ある意味、親に感謝すべきことのように思う。
親孝行であろうとすることは、親のためのみならず自分のためになりうる。
子はいつでも親孝行であろうとするべきだと思う。