小学1年生になった娘が、今後どのように成長をして、どんな人生を歩んだとしても、あらゆる面で私を越えてくれたとしたら、それは心から素直に喜べることだろう。
もしかしたら、それが親という生き物の最大の喜びではないかとさえも思える。
翻って、AIはどうだろうか。
AIに仕事を奪われるだの、AIを使えるようにしろだのというのは巷でよく聞く話であるが、親が、子どもの成長、そして自らを越えていくことを喜ぶように、科学の発展が生み出したAIが人類をこえていくことは、むしろ人類にとっては喜ばしいことなのではないか。
AIの発展を恐れるのではなく、家族としてその成長を喜び、共に歩み、見守っていくことが正しい向き合い方なのかとふと思った。