欲を離れ悠々自適に生活しているように見える人でも、その人の感じる幸せから不幸せ幅の中で選択している。
どんな生活水準でも良いというわけではないはずだ。
安定してお金が手に入るようになっても、数千万のマセラッティまでは範囲が広がることはなかなか無い。
誰しも自分の決めた限られた幅の中で幸せを感じている。
子どもの幸せを願うというのは、限られた範囲内で最大限の幸せを感じられるようにサポートしてやることか。
その子が規定した幸せのできるだけ最大。
幸せの上限を上げながらその最大を追える力を。
どちらにせよ、教育しかないような気がするなあ。